隠れたつもり~~?
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来週には最終回だというオダジョー主演のドラマ。
ずっとみてます。貴重な視聴者です。
主人公があまりにも単純すぎというか、ストレートすぎで
なんかちょっとねーという感じはするが、
・・・あと、ドラマ内でのオダジョーの歌い方が、
ちょっと主人公のイメージとはズレてるかな・・・とは思うが、
けっこう面白く見続けてきた。
裏番組の高視聴率を誇るサバンの方は
最初こそ録画して見ていたりしたが、
2話ぐらいで既に見る気が失せたんだけどなあ。
ドラマが面白いかどうかっていうのは
今回の打ち切りにはあまり関係なかったのではないかな。
最初に局とスポンサーの問題があって、
次に過去のドラマのパクリ疑惑。
(疑惑発覚後に脚本を変えたせいか、
元ドラマとは全く違う色合いにはなったと思う)
多分、最初から視聴者は見る気が無かったのだろう。
主人公の生い立ちが、主演のオダジョーの生い立ちに被る。
だから、主人公のセリフがまんまオダジョーの気持ちのように思えてしまう。
セリフが現実のように思える。
表面的な知ったかなドラマではなく、
家族の問題を深く掘り下げたドラマのように感じる。
ま、もちろん、まるっと役者の表面的な演技であるのかもしれないけれど。
きっと、打ち切りにならなかったら、
父の日とかも印象的に絡ませて来るはずだったんだろうなあ。
これで終わるなんてもったいないなあ。
・・・と思いつつも、
長さ的にはダラダラせず、
返って短い方が効果的だったドラマなのかもしれない。
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SUEの足の怪我は一週間でかなりの回復。
もはや青染みを少し残すのみ。
若いって素晴らしい・・・としみじみ。
SUEの怪我から数日後に負った私のヤケドは、
SUEの怪我よりずっと軽そうだったのに、
まだまだ治りそうに無い。・・・まあ、当然ですが。
さて、怪我といえばなぜか最近傷心のイヌ氏。
もともと精神的にもろいところがあって、
いや、いつもは笊のような神経なのだが、
若い頃は特に感情の浮き沈みが激しく、
落ち込むと底なしで・・・・
歳をとって随分と強くなったもんだと思っていたのだけど、
何だろう・・・男の更年期障害?
うーちゃんのことから立ち直るのにちょっと時間がかかったのも
もしかして、そういうことなのか・・・。
なにやら、自分の好きなことをするにも
イマイチやる気にムラがあるらしく、
それでも期限等があるものなので、
誰かに精神的後押しをしてもらいたい様子。
本業の方でのストレスがどうやらハンパない状況にあり、
まあ、そういうのも原因としてあるのだろう。
こういうときは嘘でも安心できることを言っておこうと思って、
「店のことは私に任しとけっ!
何でも自分の好きなことを安心してやっておいで。」
と見得を切ってやった。
まあ、私ひとりに任せられないことはイヌ氏も充分承知のことだろうが、
勢いの一言で前に進めることもあるだろう。
精神的にも肉体的にも金銭的にも苦しく難しい時代。
SUEが社会人になるまで、あと6年(予定)。
何とか乗り切ろう。イヌ氏と二人で。
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TURとおやつを買いに行った帰り道、携帯がなった。
マナーにし忘れていた・・・
相手がSUEだったので、帰るまでスルーしようかと思ったけど
ま、相手がSUEだったので、助手席のTURに出てもらった。
「お母さんは今運転中です。」と事務的に言うTUR。
その後、「わかりません。大きな絆創膏は買われません。」と続けて・・・
「エッ!SUEちゃん、怪我したの?」
とTURに投げた言葉が大きくてSUEには直接届いたようで
「自転車こけた。電柱にぶつかって。」とTURがSUEの言葉を反芻する。
「わかった。すぐに帰るから。」
TURが手に持ってこちらに向けた携帯から
「ハイ。」と言う声がうっすら聞こえたので、
TURに電話を切ってもらって、
TURには「今日は遠回りはしません。」と断言して、家へ急ぐ。
絆創膏を買うのは、とりあえず傷の場所と程度を見てから。
頭や顔を怪我してないか・・・
と思いながら居間の扉を開けると
至って落ち着いた顔でPCをしているSUE。
傷を見ると擦り傷程度でかなり軽症だが
範囲がほぼひざ前面全域。もちろん左右。
心なしか腫れていて、
もともと細くて骨ばった足がさらにぼこぼこな感じ。
ま、出血もしているし腫れはすぐに引くでしょう。
頭や顔も本人に確認したが、どこも打った様子はなく
ひとまず安心。
薬局に走り、特大サイズの傷パワーパッド(のばったもん)とガーゼ
ひざ用のネット包帯を買う。
数年前まで、普段は用心深いと言うのに、
定演が近づく頃になると
なぜか、こけてはひざに怪我をしていたSUE。
合唱団の制服はひざが見える長さだから、
両足に絆創膏なんかつけちゃうと目立っちゃって・・・
絆創膏ぐらいの傷ならいいが、
ガーゼをサージカルテープで止めなきゃならない大きさのときもあった。
だから、定演が終わるまで
毎年ひたすら「こけるなよ。気をつけて。」と声かけをしてきたのだが、
定演を終えた今頃になって、こんな怪我をするとは・・・
・・・良かったような、悪かったような・・・・
傷口が隠れると当初の真っ赤な痛々しさは薄れ、
なんか、大したこと無いような気さえしてきた。
しかし、あの歩き方をみると、
強がっていてもやっぱり痛いんだろうなあ。
まあ、自業自得だけれど。
男の子がいると怪我とかで
ドキドキハラハラすることもあるんだろうなあと覚悟はしていたが、
まさかのSUEさん。
電柱にどうやってぶつかったのか、何が原因なのか
自分でもよくわからないと・・・。
やっぱり、TURよりSUEの方が、将来が心配かも。
今後、くれぐれも命に関わる天然ボケは慎んでくれたまえ。
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ここ数年、移動手段はもっぱら自転車のSUEさん。
痩せぎすでスポーツ嫌いのSUEさんにはいい運動。
ただ、SUEの自転車を走らせる姿は
そりゃもう、いつでもシャカリキで
なぜか常に立ちこぎをしているのだ。
コレ、コレ、そこのお嬢さん、
自転車にはサドルというものが付いていることをご存じないか?
学校でも男子に真似をされる始末。
いつも行きは遅刻ギリギリで、
帰りは家のゲームやPCや録画したアニメなどに
心を躍らせているのだろう。
さて、こぼれ話も③
今回は定演当日ではなく、
定演練習のあった日の話なのだが・・・・
今回の定演ミュージカルは、
団員全員に役名があり、全員に台詞があるというものだった。
ミュージカルに携わる先生方は、
毎年この時期だけ隣県から来て下さる先生方。
団員は昨年の定演から新メンバーも増えていたりするので、
ミュージカル練習時は皆
役名と名前を書いたゼッケンをつけて練習をしていたのだ。
SUEさんの役名『オスカル』
もちろん、あの有名なコミックの男装の麗人とは別キャラ。
定演が終わるまでの数ヶ月、
『オスカルSUE(実際は実名)』と書かれた布を
安全ピンで胸に留めて過ごした訳である。
SUEさんは基本、天然である。
一つ先のことを考えたら、
今のことがお留守になってしまう傾向がある。
今日のお楽しみ・・・に心を馳せてしまったSUEさんは
練習終了後、超特急で自転車を走らせて帰路に着く。
途中、本屋さんにより、楽しみにしていた本を買ったという。
それからいつものように立ちこぎで自宅まで帰ったそうだ。
・・・・多分、顔もいつもの帰りのようにお楽しみについほころんで
ニコニコ、ニヤニヤしてたんだろうなあ・・・。
玄関のドアを開けてようやく気が付いた。
胸に付けたままの白い布に。
『オスカルSUE』
しばらくは近しい人からそう呼ばれるのだろうなあ~~。
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いつもギリギリになって慌てる母の日。
今年は二日も前に準備。
しかも、イヌ氏も(子どもたちも)同行。
無事、イヌ氏母と私の母のプレゼント、ほぼ同額で購入。
さて、母といえば私も母だが、
私の母の日は・・・・
バタバタと朝の仕事を終えて玄関の扉を開けると、
ものすごい勢いで階段を駆け下りるSUEに遭遇。
そのままキッチンを占拠される。
どうやら、母の日に自費で材料を購入し、
ちょっとリッチな手作りホットケーキをご馳走してくれるという。
・・・・あの・・・
TURくん、ヘルパーさんとの待ち合わせ時間がもうすぐなんですが・・・
居間で待たされていると、
TURが自分の鼻をつまんで
「お母さん、何か臭いです。」
台所を見ると確かに全体的に煙っている。
「SUEは換気扇の付け方知らないみたいだから、
TUR君、教えてあげて。」
というと、早速換気扇をかけるTUR。
・・・・食べられるものが出来上がると良いのだが・・・。
「お母さん、」とSUEの私を呼ぶ声が聞こえ、
キッチンへ行くと、開口一番に「全部失敗した。」
確かにお皿の上には、
両面黒い円盤状の物体と、
もはや食物の正しい形を有していない、
グチャッと感がハンパない代物が仲良く重なっている。
お前は不器用でどじっ娘な主人公か・・・。
「大丈夫。大丈夫。ホイップクリームとイチゴジャムがあれば、
多分おいしいと思うよ~~」と
頂き物のさくらんぼもトッピングして一気に頬張る。
いや、まあ、香ばしさとクリームと苺ジャム、合うといえば合う。
ってか、甘い味しかしないくらいたっぷりと。
苦くて嬉しい母の日。
最初はまあこんなもんさね。
少しずつうまくなっていけばいいよ。
母の日を数日過ぎた今日になり、
ふと気付いたが、・・・TURからは何も貰ってないぞ・・・。
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定演を見に来てくれたネ友から定演の写真が届いた。
最初はSUEの姿ばかり見ていたが、
繰り返し見ているが、その度に新しい発見が。
ロビーでの写真で、観客の中に懐かしい顔を発見したり・・・
SUEも何か新たな発見があるようで、
最初に見たときは
「え?なん?まんま、男の子やん。」と。
今まで、なぜに自分には男の子役ばかりがと思っていたらしいが、
男装をした自分が予想以上に少年だったらしい。
その中性的な容姿。
青年になる前の独特な線の細さ。
・・・ま、そうなるべくなったって事かもね・・・。
「衣装に肩パットを入れろって、ああ、そういうことか。」
なんて、今頃になって意味がわかったりして。
客観的に自分を見るっていいなあ。
写真を見てこれだけの発見があるなら、
SUEさん、動画ではどれほどの発見をするのかなぁ。
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(今からかなり長い記事を投稿します。
個人的な記録としての意味合いが非常に大きいので、
興味のない方はスルーしてください。)
月曜日にTURの家庭訪問があった。
それに先駆けて、
新しい担任がTURにIQテスト(WISC)を行っていたので、
家庭訪問の主な議題は
・IQテストの結果詳細
・6月の実習について
・個別支援計画の保護者承認
というのは暗黙の了解。
担任は二人いて、一人は持ち上がりだが、直接TURの担当というわけではなく、
この春からのお付き合いとなる
今までほとんど馴染みの無い先生の方がTUR担当の様子。
なので、プラス
・TURの障害特性を含めた大まかな特性の説明
・同級生とのトラブル(同級生の保護者とのトラブル)
を、こちらからのお話として予定した。
同級生とのトラブルについては始まりから詳細を話すと
数年に渡る長い話になるのだが、
これは割愛して最近の話だけ・・・などとしてしまうと、
問題解決には至らないと思うので、じっくりと。
まあ、ここで大まかに説明するなら、
数年前、相手の子と学校で何度か喧嘩になったようで、
相手の親御さんが、私やイヌ氏を通さず、
過去にも、突然TURを恫喝したり、
TURの障害特性を説明した当時の担任に
「担任の指導が悪い。」と担任にまで謝罪を求めたりしたことがあり、
今年度になり、再びTURが
「昨日、学校で○○君のお母さんに叱られました。
『もうしません。』と謝りました。」と話したことが2回、
「昨日の○時に、○○君のお母さんから電話があって叱られました。
『もうしません。』と謝りました。」
との報告が1回あったのだ。
それに加え、以前に恫喝されたときの
相手の父親のセリフを独り言で繰り返すという姿も。
今回はTURいわく、喧嘩といっても掴み合いではなく、
相手の苗字の上に『クソ』をつけたということ。
もちろん、トラブルについては
毎度TURにはTURなりの理由があるのだが、
それがやはり、自閉くんなりの理由なので、
自閉がない相手にも、その保護者にも理解できるわけがない。
ついでに言えば、今までのTURの関わる先生にも、
その辺りを本当に理解してくれている人は多分ほとんどいなくて、
TURは納得できいままに
理不尽に一方的に叱られ、罰を受け続けてきたのだった。
なので、最近の出来事が事実なのか、フラッシュバックなのか、
TURの罪悪感が生み出したファンタジーなのか
実のところ、わからないのである。
相手の保護者に直接聞こうにも、
もしその事実が無かった場合、事を荒立ててしまうというか、
相手が相手なだけに、
もうほぼ間違いなく、トラブルが大きな方へ発展してしまうため、
ひとまず、このことは先生預かりとして様子を見ていただきたいという話。
さて、月曜日なのでイヌ氏も在宅。
記憶を探ると定かではないが、もしかしてSUEが小2のとき以来?
担任が二人でやってきて、
開口一番はやはり検査の結果。
・・・すごいよ。すごすぎる・・・。
今までの児童相談所での検査では、
親が知ることができるのは動作性と言語性のふたつに分けた数値だけ。
今回の検査では、もっと細かい数字に、
それに基づいて分析されたTURの障害特性に
これからの支援に必要と思われること。
先生、エクセレントです。
今まで、親として知っていることを、
毎年毎年先生に話しても、
全く考慮してはいただけなかったことを、
今日も例年通り、先生にお話しするつもりだった。
それが、今年はこちらから話す前に、
ほとんど全てを先生の口からお聞きするなんて・・・
・・・支援校に通って6年目。
学生生活最後の年に、
ようやく特別支援のプロ中のプロにめぐり合えた気がする・・・。
全体的な数値の低さに対する親のショックを気遣う先生。
いえいえ、そんなことは前から知っていること。
だからずっと
『TURは見た目の印象よりずっと、障害は重く、
特に理解力はかなり低いので、そのあたりを考慮してください。』
と何度も伝えてきたのだ。
私たち親はTURの本当の力を充分知っているので、
そんなことはお気遣いなく。
低い知能を他の部分で最大限に補っている子であること
(表面だけ合わせていて本当は理解していないことの多さ)
フラッシュバックのこと
仮定の話の理解が難しいこと(実際に起こった出来事との混乱)
視覚支援が有効だし、不可欠なこと
過去の事を忘れられない辛さ
叱るときは後ではなくその場で、
そして長々とじゃなく、事務的に簡潔に告げた方が入りやすいこと
そして、基本中の基本、『自閉症』という障害だということ
今まで年度の最初に何度も繰り返しお話してきたにもかかわらず、
それぞれの担任から
『でも、TUR君はそんなことしなくても大丈夫だから』と無視され続けたことを、
最初からわかってくれる先生って、支援校に本当にいたんだ・・・。
(ちなみに地域の小学校特別支援学級の先生方はレベルが高いので
小学生時代は適正な支援を受けていたと思っている。)
もちろん、理解してくれたとして、
今後の支援がそれに伴うかどうかはまた別問題。
それでも、かなり期待ができる今年度。
その分、親が求められるものも大きいのではないかとも思うけど。
新しい担任に昨年度の経過を報告する際に
「あの時、例えば机の配置一つ気にかけてくだされば、
少なくともトラブルはなかったと思う。
子どもたちのどちらが悪いというのではなく、
各々の障害特性を考慮に入れれば、
参観であの机の並びを知って、トラブルは当然だと思いました。」
と話したところ、
横でずっと聞いていた持ち上がりの担任が
「あ、そういえば、お母さん、前にそうおっしゃっていましたね~~。」と笑顔で。
・・・私が言った直後からたった今まで、
そのことをすっかり忘れていらっしゃったんですね・・・・。
そうそう、これが忘れもしない昨年までの支援校クオリティ。
あと一年、本来の意味でようやく学校とタッグを組んで、
力の限りを尽くす日が来た。
親として後悔のないようにこの一年を送ろうと心から思う。
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私じゃなくてイヌ氏。
配達の帰りに
衝動的にうーちゃん(のお骨)に会いに行ったりして、
それから、あの日の後悔をひたすら口にする・・・。
「みんな、そうだって。
みんな自分せいだって思ってるんだよ。
それぞれが口に出さないだけで。
それから、ふとした瞬間に悲しくなるんだって。」
玄関にいることに気付いていれば・・・
ドアを開けなければ・・・
すぐに探していれば・・・
そもそも、外に出ることを許さずにいたら・・・
外の楽しさを教えずにいたら・・・
家の中で、もっと楽しく遊んであげていたら・・・
TURに至っては、
およそ結びつかないことで自分のせいだと思っていそう。
ぼくがイイ人でいなかったから・・・とか。
「子どもたちのせいじゃない。
それは絶対に違う。」というイヌ氏。
それは誰にでも言えることで、
それでも自分が悪かったのではと責めてしまうのもみんな一緒。
命の責任を問えば、
うーちゃんの命を奪う直接的な原因が悪いのかというと、
それはそうじゃなくて、
やっぱり外に出してしまった私たちが悪いのだ。
死因は最後までわからなかったし調べなかったけど、
仮に車に跳ねられて打ち所が悪かったのだとしても
道路でふらふらとしていた猫を跳ねた車のせいではなくて、
猫を出してしまった私たちが悪いのだ。
車の運転手はびっくりしただろうし、
後味も非常に悪かったはずだ。
それが原因で大きな事故が起こる可能性もあるのだから。
だけど、自分を責めてみても仕方が無い。
うーちゃんが帰ってくるわけではないのだから。
私たちができることは、
残ったクロちゃんともーちゃんに
できる限り幸せな毎日を用意して、
大切に長生きしてもらうことぐらい。
だけど、そうやって
2匹の猫と楽しく遊んでいると、
「ごめんね、うーちゃん。
もっといっぱい遊んであげれば良かった。」と思う。
ひざの上で寝てる猫たちをなでていると、
うーちゃんの重さを思い出して
もう二度と撫でてあげられないと悲しくなる。
食べることが大好きだったのに、
太ることを気にして、大好きな缶詰を制限してたから
やせ気味の2匹に缶詰を開けながら、
うーちゃんにももっと缶詰を食べさせてあげればよかったと思う。
私は霊や魂なんて無いと思ってる。
死んだらみんな『無』になるんだって。
だけど、もしかしたら
何か大きな一つのものに戻るのかもしれない。
障害がある人も死んだら
身体(イレモノ)からの束縛から解放されるって
うーちゃんも、見えない片目から解放されて
猫であるという種別の束縛からも解放されて
他の死んだものたちと一緒に
一つの大きなものに返っているのかもしれない。
私もいつか死んだら、
うーちゃんとも、父とも、死んだ祖先とも溶け合って、
一つの何かになるのかもしれない。
ドウカ、ソレマデマッテテネ。
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