オマケ日記

どうでもいい話。

2016年3月 9日 (水)

自分らしくって簡単で難しい。

この数年間、生活のためにやむを得ず

自分らしさから少しずつ離れ

時間的・精神的にも窮屈な中で過ごしてきたが、

その最も大きな要因である仕事を辞め

10日間くらい、ちょっと現実逃避気味に暮らしてみた。


そろそろ、本来の自分のペースで踏み出してみるか。

…というわけで、まずはブログの復活から。



いや、まあ、別に休止していたというわけではなく、

Facebookにかまけている間に、

すっかり更新が途絶えてしまっただけなのだが。



あちらのほうでは、

最近、Facebookの在り方・ブログの意味などを

定義づけている向きがある。

もちろん、それを目指す人を否定するものではないが、

私は彼らとは違い、

別にSNSで学生時代のような

楽しい仲間作りを目指しているわけでもなく、

あくまでも自分のための記録と

あと、自分の文章力を育てる目的が大前提である。

もちろん、それが人の目に留まり、

誰かの役に立つのであればうれしいことで、

その中で気の合う幾人かの人とつながることは

非常に有意義なことだと思う。

が、しかし、

それが最大の目的と言うわけではなく、

ましてや、ブログは毎日更新しなければならない‼

などという目標を掲げることもしない。

SNSの使い方など、人により多種多様で、

自分が納得していない、

他人の決めたルールを

意味もなく守るつもりはないということは

この機会にひとまず明記しておきたい。



ま、大人になると、

いろいろ生きにくくなるのねってことで。

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2015年5月19日 (火)

憧れの人も、

尊敬する人もいるけれど、



誰かの受け売りではない人生を

模索したい50代。

(あ、まだ40代ギリやった。)

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2015年5月18日 (月)

久しぶりに。

久しぶりにブログの管理画面を開いてみた。

それからブログも表示してみた。
過去記事を読み返してみたいけど、
そんな時間も無いほど、日々に追われています。
この数ヶ月(数年間)の間に、
いろんなことに変化。
子ども達は大きくなり学校を卒業し、
ひとりは就労して毎日働いているし、
ひとりは家から巣立っていったし、
職場環境も全く変わってしまって、
こちらが最も影響が大きく、
この歳になって
大きな試練の時を迎えている。
時間に追われるこんな時こそ、
振り返ることが大切だと思うけれど、
脱兎の勢い出過ぎていく時間を
どうすれば振り返ることが出来るのだろう。
少しずつ、また、ブログを更新していければと思います。
・・・・自分のためにだけれど。

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2013年1月31日 (木)

憂鬱な季節。

私的には大変憂鬱な季節がやってきた。

もう最後の最後だから告白するが、
SUEの合唱団定期演奏会の
パンフレットに載せる広告依頼の季節である。
もちろん保護者が一丸となって広告を集めるわけだが、
これが例年苦になってしかたがないのだ。
そして、イヌ氏に相談するのだが、
これがまた、けんもほろろな返事しかなく、
最終的には必ず陰険なケンカに。
「だから、最初から協力は一切しないとあれほど・・・」
「子どものために、できることをしてくれても・・・」

「いやなら辞めろッ!自分は最初から反対してた。」
「子どもが続けたいと言ってるのに
親がどうして応援してあげられない・・・」
「続けても利点はない。」
論点は少しずつずれ、
終いには合唱団自体を続けるかどうかみたいな話に・・・。

それは、SUEのいないところで起こるケンカだけど、
続けるか続けないかなんて、親の都合じゃなくて本人の意思でしょ。
しかも、今年は最後の年だよー。何を今更・・・
・・・ってな感じで、毎年この時期、軽くノイローゼ状態。

前向きになりたくても、胸はずっとつまってる感じで、気持ちも塞ぐ。

ああ、こんな事をもう9回め。
それでも、これさえ終われば、
あとは定演に向けて迷わずGO!なのだから、

そして、来年はもうこの悩みからはおさらばなのだから、
・・・何とか乗り切らなければ・・・。
広告依頼、他の方々は苦にならず行えるのだろうか。
みんな、すごいなぁー。

私は毎度、友達や信頼関係を崩す勢い。
一段落するまでひとときも忘れることなく夢にまで見る。
誰かにコツを教えてもらいたい・・・。いやマジで。

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2012年12月15日 (土)

さて、選挙です。

最近つくづく感じるのは、いろんな立場や考えの人がたくさんいて、

同じ情報を得たとしても、人によって受け取り方が様々だということ。

たとえば全く同じニュースを聞いても、

私が感じたものとは180°違う受け取り方をしている人が

実際に本当にいるといるのだということ。

その事実に対して、私の方がぜったに正しいのだから、

あなたは意見を変えなさい!とは言えない。

考えることはその人の権利なのだから。

だから、人の意見をただただ鵜呑みにするのではなく、

自分で見て、自分で調べて、自分が感じたことには正直に

後に決して後悔しない選択をする事が大切だと思う。

自分が信じてきたことが正しいと思うならそのように、

調べてみたら自分の考えが間違っていたと思うなら、

意地を張らずに潔く考えを改め、

思ったことを行動に反映させよう。

社会人としての責任を果たそう。

ひとまず、過去のこの記事のリンクを。

あの時と変わらぬ決心で。

http://harugomori.cocolog-nifty.com/web/2011/05/post-dbc8.html

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2012年10月14日 (日)

凹み中。

私は基本的に人にも自分にも甘々。

何かあっても、たいてい 

まあ、いっか。・・・・で終わる。

人付き合いが苦手、というか、

もしかしたら、他人に興味が薄いのかもしれない。

それでも極々普通に暮らしていたら、

もちろん、人間関係のトラブルが避けられない時もある。


人にお金を貸すときには、

それは戻ってこなくてもいい金額かと考える。

これは基本。

人のことを誰かに悪く言わなきゃならないときは、

自分もどこかで言われることを覚悟する。

これは下手すりゃ3倍返し。


人を呪わば穴二つ。

イヌ氏が何故かよく言う言葉。

(あと、『月夜ばかりと思うなよ』も。笑)

だから、人の批判をすれば、

ひどく気分が落ち込むのは

もしかして、自分が可愛いからだけなのかもしれない。


・・・こういうの、偽善者というのだっけ。

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2012年8月17日 (金)

ビーフシチュー。

今日は父を思い出してしまって、

そうなると、当然夕食はビーフシチューに。

最後までリバースせずに食したメニュー。

病院の薄いさらさらのシチューを、

スプーンですくって口元へ持っていくと、

おいしそうにすすっていたね。

食事がほとんど取れなくなっても、

『また、食べたいなぁ~。』と笑って言っていたね。

それから、一度もシチューのメニューは巡ってこなかったけれども。

私はビーフシチューが好きではなくて、

うちには年に1度、あるかないかのメニューだったけれど、

ここ数年、必ず年に2回以上はテーブルに乗るようになったよ。

今夜のメニューが何でビーフシチューなのか・・・、

そんなことは家族には内緒だけどね。

(多分、夫は気づいているが)

だって、みんなで笑顔でじいちゃんのことを語り合うには

私にはまだ無理みたい。

というか、年々無理になっていく。

娘としての気持ちより、

親としての重なりがだんだん大きくなるからなのか。

万が一、食事中に目が真っ赤になったりしたら、

子どもの前で泣くなんて、ほとんど無い私には

いったいどうしていいかわからない。


父がいなくなってから、何度も何度も考える。

お盆も過ぎたばかりだし、

ここ数日、やっぱり繰り返し考える『死』について。


人が死んでいくのは悲しすぎて、辛すぎて、

次に身近な誰かが死ぬ前に、

いっそその順番が自分に回ってくればいい。

あんなにしんどいときが繰り返し何度もやってくるのなら、

先にこっちが消えてやりたいと、本気で思う。


だけど、私にはやっぱり役割があって、

少なくとも、TURとSUEが親無しで生きられるようになるまでは

サポートをしなくてはならない。

TURが就職、SUEが進学、TURが家を出て、SUEが就職・・・・

少なくともあと6年は責任がある。

その後は、世捨て人みたいに

のんびりと自然に老いながら、死ぬまで生きていよう。


そして、死ぬときには、

TURにわかるように少しずつ弱りながら、

きちんとお別れの挨拶をして、

死んでもずっとそばにいて見ているから、

悪いことはしてはいけません。

いいことをしたら、お母さんはTUR君が聞こえなくても

横で誉めてあげるてるからね。・・・と、伝えたい。

本当は霊の存在なんてこれっぽちも信じていない私だけど、

宗教が必要な人がいるように、

TURには正しく生きるための指針が必要だろうから。

それから、いつかは死んでいくTURのために、

死ぬのはぜんぜん怖くないよと笑顔で死んでいけたらいいな。

やっぱり、不慮の事故だけは勘弁。

もしSUEが結婚・出産・・・までも生きていたら、

今度は孫の将来とか見たくなっちゃうんだろうなあ~。


やっぱり、TURの行く末をずっと見ていたかったのだろうなあ。

ねえ、じいちゃん。

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2012年8月 9日 (木)

飽きない人生。

以前、店のブログに

結婚相手をイヌ氏に選んだことについて、

『飽きない楽しい人生で後悔は全く無い』

・・・的なことを書いたら、

どうやら、多くの方に仲の良い夫婦と解釈されたようで

最近はネットでもリアルでも、

「40も半ば過ぎて、今でもラブラブなんてうらやまし~!」

などと冷やかされる始末。


飽きないってのはね、

いいことも悪いことも息つく暇も無く次々起こるという意味。

本当に、語れば一晩では足りないぐらいいろんなことがあった。

今なら笑い話・・・に・・・なるほどには、

まだまだ私にとっては過ぎ去った出来事ではないけど

とりあえず、切り札はこっちが握っていると

相手に思わせるには充分かな。


そして、楽しいというのは、

私は喜びも苦境も同じように楽しむタイプなので。

頑張って頑張って、(めったに頑張らないんだけど)

問題を乗り越えたときの自分ってホント好きだワー。


それに当然だけど、

自分で選んだ道なので、もちろん後悔はnothing


なのでラブラブとはかなり違うんじゃないかな。私たち夫婦は。

乗り越えてきた仲間的な感覚の方が強いのかもね。

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2012年7月24日 (火)

ヒアアフター

WOWOWで『ヒア アフター』を見る。

録画してたヤツが豪雨の停電のために途中で終わってたり、

時間忘れてみ損ねたり・・・・

なんか、切れ切れに3回見てようやく全編繋がる。

久々の名作だった。


でも、これは多分好き嫌いが激しい作品。

そう思って映画批評サイトを見ると、みごとに想像通りの結果。

水墨画のような日本画のような本作。

省略された部分、描かれていない部分には何もないのではなく、

描かれていないからこそ浮かび上がる何かがある。

観客の想像に任せるというのでもなく、

明らかにはっきりとしたものがあり、

観客の想像もおそらくそれほどかけ離れなく同じものなのだろうと思う。


別々の澱みの中で生きる登場人物たちの人生が

それぞれ流れ始める直前の予兆。

それが『この後どうなるのかわからない』のではなく、

間違いなく新しく明るい未来に踏みだすに違いないのだが、

そのほんの気配を感じるところでエンドロール。

これが、本当に良いラスト。

イーストウッド、そういうとこがにくいほどうまい。

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2012年7月23日 (月)

上手に。

この一週間、本当にしんどかったのだ。

なぜかというと、単純に、仕事の欠員の穴埋めなのだけれど、

過去にもそんなことはあったのに、

今回はどうにも疲れが蓄積されていくのを日々実感。

なんだかどんどんへタレになっていくよのう。

歳をとるとはこういうことか・・・

あまり、弱音は吐きたくないが、

このセリフを何度もつぶやいてしまう最近。


明日からは欠員も元通りの予定。

だが、今日からTURの実習で、その送迎があるので

これから気分的にあわただしい2週間である。

隣県の車で片道30分の場所。

運転、気をつけよっと。


年齢とともに衰えるのは仕方の無いこと。

自分を労わりつつ、上手に歳をとりたいものです。

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