運動会の思い出。
今日は台風で順延となった地元小学校の運動会。
うちには小学生の子どもはいないから、
見に行くことはないのだけれど。
自分の小学校時代の運動会の思い出といえば、
やっぱり親戚一同が集まってのお弁当。
当時はまだうちは自営ではなく、
パート勤めの昼休みに、何段ものお重を持って駆けつけてくれた母。
・・・ん? 昼休み?
私の記憶はうっすら過ぎて自信はないのだが、
母は私たちの出場する競技を見ることはなく、
親戚一同が食べるための弁当だけを持って学校へやって来たのだ。
たしか、母自身も以前、
当時を振り返ってそう言っていたのだからおそらくそうだったのだろう。
その時母は、
「なんで、競技は見なかったの?」という問いに、
「だって、あんたたちどうせ走ったってどべやろ?」と答えた。
・・・いやいや、運動会って、そういうもんじゃないやろ。
小学生ぐらいの子どもは、どんなに運動音痴でも、
親が見に来てくれるから、頑張るんじゃないんですかい?
あなたは自分の子どもの頑張る姿に興味はないんですかい?
ま、夫が私の子ども時代を母に聞いたときに、
母ははっきりと「覚えていない。興味がない。」と言ったそうなので、
今頃言ってみたところで、当時の母を変えようがないがな。
多くの人が暮らしていくので精一杯。
いつかは夢を叶えるために、あくせく真面目に働いて
少しでも貯金を増やそう・・・・そんな時代であったのも確か。
私は小さい頃とても甘えん坊だったと母に言われることがあるが、
私には当時の記憶がほとんどない。
そのセリフは誰かを相手に私を小馬鹿にする時に出てくる言葉。
基本、姉上げ私下げな母の記憶は、
私の記憶とは著しく違うことが多々あり、
私の記憶では姉の悪事のはずのことが私の悪事になっていたり、
私の手柄が姉か母自身の自慢になっていたりする。
どちらの記憶が正しいのかは、
タイムスリップできる装置が発明されない限りわからないのかもしれない。
母に褒められた記憶は、片手でも余るくらい。
はっきり覚えているのは、小4の頃に書いた作文を
当時の担任がベタ褒めし、
学級通信に掲載してくれた時。
あとは・・・標語で表彰された時ぐらいかな。
しかし私自身、冴えないダメな子だったという自覚はあるので
今みたいに褒める子育てが当たり前のように浸透していたわけではない当時、
数えられる程しか褒められなかったのも致し方ないとは思っている。
そういう私が親になったのだから、
子どもの褒め方なんて全然わからない。
むしろ、褒めたりなんかすると、ものすごく気持ち悪い。
全身がゾワゾワっとなる感じ。多分、涙ぐんでるよ。その時の私。
せいぜい「OK!」とか「イイね~~」ぐらいのもんだけど、
それでも褒めなきゃならないと思うときは頑張って褒める。
鳥肌立てながら、しっかりと子ども達に伝える。
子育てってお得だな。
自分の子ども時代にできなかったことや失敗を、
もう一度チャレンジできる。
子どもを通して追体験できるし、
(しかもラッキーなことに私は二人分!!)
自分の嫌な記憶も無駄にはならず、活かすことができる。
当時の母の気持ちも、きちんと消化することができる。
もう子育てもそろそろ終盤に差し掛かってきたけれど、
今の私の運動会の思い出は、子ども達との楽しいことがいっぱい。
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