オカアサンとイッショ

確執ある親子関係の話。

2012年10月 2日 (火)

運動会の思い出。

今日は台風で順延となった地元小学校の運動会。

うちには小学生の子どもはいないから、

見に行くことはないのだけれど。


自分の小学校時代の運動会の思い出といえば、

やっぱり親戚一同が集まってのお弁当。

当時はまだうちは自営ではなく、

パート勤めの昼休みに、何段ものお重を持って駆けつけてくれた母。

・・・ん? 昼休み?

私の記憶はうっすら過ぎて自信はないのだが、

母は私たちの出場する競技を見ることはなく、

親戚一同が食べるための弁当だけを持って学校へやって来たのだ。

たしか、母自身も以前、

当時を振り返ってそう言っていたのだからおそらくそうだったのだろう。

その時母は、

「なんで、競技は見なかったの?」という問いに、

「だって、あんたたちどうせ走ったってどべやろ?」と答えた。

・・・いやいや、運動会って、そういうもんじゃないやろ。

小学生ぐらいの子どもは、どんなに運動音痴でも、

親が見に来てくれるから、頑張るんじゃないんですかい?

あなたは自分の子どもの頑張る姿に興味はないんですかい?


ま、夫が私の子ども時代を母に聞いたときに、

母ははっきりと「覚えていない。興味がない。」と言ったそうなので、

今頃言ってみたところで、当時の母を変えようがないがな。

多くの人が暮らしていくので精一杯。

いつかは夢を叶えるために、あくせく真面目に働いて

少しでも貯金を増やそう・・・・そんな時代であったのも確か。


私は小さい頃とても甘えん坊だったと母に言われることがあるが、

私には当時の記憶がほとんどない。

そのセリフは誰かを相手に私を小馬鹿にする時に出てくる言葉。

基本、姉上げ私下げな母の記憶は、

私の記憶とは著しく違うことが多々あり、

私の記憶では姉の悪事のはずのことが私の悪事になっていたり、

私の手柄が姉か母自身の自慢になっていたりする。

どちらの記憶が正しいのかは、

タイムスリップできる装置が発明されない限りわからないのかもしれない。


母に褒められた記憶は、片手でも余るくらい。

はっきり覚えているのは、小4の頃に書いた作文を

当時の担任がベタ褒めし、

学級通信に掲載してくれた時。

あとは・・・標語で表彰された時ぐらいかな。

しかし私自身、冴えないダメな子だったという自覚はあるので

今みたいに褒める子育てが当たり前のように浸透していたわけではない当時、

数えられる程しか褒められなかったのも致し方ないとは思っている。

そういう私が親になったのだから、

子どもの褒め方なんて全然わからない。

むしろ、褒めたりなんかすると、ものすごく気持ち悪い。

全身がゾワゾワっとなる感じ。多分、涙ぐんでるよ。その時の私。

せいぜい「OK!」とか「イイね~~」ぐらいのもんだけど、

それでも褒めなきゃならないと思うときは頑張って褒める。

鳥肌立てながら、しっかりと子ども達に伝える。

子育てってお得だな。

自分の子ども時代にできなかったことや失敗を、

もう一度チャレンジできる。

子どもを通して追体験できるし、

(しかもラッキーなことに私は二人分!!)

自分の嫌な記憶も無駄にはならず、活かすことができる。

当時の母の気持ちも、きちんと消化することができる。

もう子育てもそろそろ終盤に差し掛かってきたけれど、

今の私の運動会の思い出は、子ども達との楽しいことがいっぱい。

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2011年7月20日 (水)

頭を抱える。②

母関連で頭を抱えるのはもう一つ・・・。


省エネとか節電とかエコとか・・・・そういう概念が一切無い母。

いや、本人は夜に暗い部屋にいたり、

それなりに「節電。節電。」とか言っているのだけど。

多分、エアコンとかもあまり使わず、

扇風機や室内をよく通る風を利用はしているのだが。


風呂はシャワーを使いたい放題。

・・・いや、これは許そう。

よくお友達と温泉に浸かりに行ってるので、毎日入るわけではない。

少しでも空が曇っていると、衣類乾燥機をかけまくるのはなんとかならんか。

しかも、乾燥機のフィルターはいつも詰まっているのだ。

多分、あの乾燥機を購入してから(かなり古いものだが)

一度も自分でフィルター掃除をしたことは無いと思われる。

それで「この乾燥機、調子が悪い。全然乾かない。」とブーたれる。

母にとって、フィルターのほこりを取るというのは

電化製品を修理するのと同じ感覚なのだ。

つまり、乾かないのは壊れてるということ。

・・・フィルターは使用後必ずお掃除することって

たいていの取説には書いてませんでしたっけ・・・。

おそらく、私たちが同居する前は父がフィルター掃除係だったのだろう。

食器を洗うのも、最初から最後まで水を出しっぱなし。

しかも、水量調節の無いガス湯沸かし器を使う。

つまり、使ってるのは湯なのだ。

母の好き放題にされてはかなわんと、

夜のうちに洗濯を済ませ、室内干しにし、

早朝に外の屋根があるところに干す・・・というのを数回実行したのだが、

「私の洗濯物も少しあるのに、朝持って行ったらもう洗濯が終わってる。

一緒に洗わないともったいない。」と文句をたれる母。

食器洗いも何度か指摘したのだが、

「私はちゃんと水を止めている。」の一点張り。

しかも、朝ごはん時間が微妙にばらついている家族の食器を

一度にまとめて洗おうと思っているのに、

カップ一つ、お皿一つが汚れるたびに、

いつの間にかやってきて、大量に水(湯)を使って洗ってしまうのだ。

まるで、私には一枚も食器を洗わせないと思っているよう。

これは何?何かの競争なのか?

毎日、無言の争いが展開されるのだ。

たとえお皿一枚、カップ一つといえでも

その度に洗い桶に1杯以上の水(湯)が排水溝へ・・・。

もはや、エコとか節電とかそんなレベルではない。

母と同居しだしてからの、光熱費の膨張といったら・・・

もちろん、仮にも二世帯なのだから、

光熱費が上がるのは当然だと認識はしていたのだが、

これは想像を絶する。

イヌ氏と子どもたちに節水節電を心がけるように頼み、

ようやく少しずつ減ってきた光熱費。

しかし、これ以上減らすにはやはり、母を何とかクリアせねばならない。

私の言うことなど全く意に介さず、マイペースで絶対に自分を変えない母。

(だって、既に『私は変わらないから。』宣言は随分前に。)

どうかならんか。どうかならんのか・・・。

同居前、『同居したら家賃が要らないからお金がたまるよ。』のセリフを

説得材料に使っていた母。

・・・毎月の光熱・通信費の請求、以前の家賃より全然高いです・・・・。(泣)

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頭を抱える。

夏休みには学校の作業学習で習った洗車をすると

大張り切りのTUR.。

ところが洗車のために以前買った

TUR専用バケツが見当たらないと小パニック。

バケツなら、イヌ氏の倉庫に入れたではないかというのだが、

「見つかりません~~。」を繰り返す。

ちょっと待って、今している作業が終わったら探してあげるよ。

・・・で、丸一日忘れていたが、

さっき、庭先の組み立て式倉庫を覗いてびっくり。

イヌ氏専用で、私たちでさえ、

何かを入れる際には許可が必要だというのに、

扉を開けると、私たちには身に覚えの無いものがびっしり・・・

・・・・母の持ち物・・・・。

季節外れのものが扉からあふれんばかりに詰め込まれている。

いつの間に・・・・。

・・・・これじゃ、TURのバケツも奥深く見つからないはず。

しかし、TURのバケツを買ったのは先月。

ということはこの大量の荷物は、最近入れられたものに違いない。

・・・・知らないぞ~~、イヌ氏が激怒するぞ~~

ってか、彼も妻の実家で気を使って生きているので、

義母相手に正面切っては怒鳴ったりしないだろうが、

こっちに火の粉が降りかかるのは必至。

・・・どうする? この大量のガラクタを。

母に私から言ったとしても、

私の言うことなど意も解さずに自分を押し通す母に

どう対応すればいいのだろうか。


ああ、どうしよう・・・ヤバイ。ヤバイ。

何とかイヌ氏が気がつく前に対策を練らないと・・・。


・・・・それにしても、あの季節外の品物、

今まではいったいどこにどう仕舞っていたのだろう。

物を捨てきれない上に

思いつきですぐに物を買ってしまう母。

それも、でかいものばかり。

倉庫があるのをいいことに、

自分のエリアの収納スペースをオーバーするほど、

またしても物を増やしてしまったのだろうなあ・・・・。

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2010年10月15日 (金)

すこぶる機嫌が悪いイヌ氏。

「奥さん、なんか、社長が機嫌悪いみたいなんだけど。」と従業員。

うーん、別に思い当たる節はないんだけど・・・

今日、仕入業者さん何件かに支払いがあるから、それでかなあ・・・。

でも、買ったら払うのは当たり前で、

そんなことで機嫌が悪くなったりしてたら大変。

ま、触らぬ神に祟りなしということで・・・・


・・・と思っていたら、向こうから。

「昨日、親と話してたら、なんかいやなこと思い出して・・・」

・・・あ、その怒りは思い出し怒りだったんですね・・・。

しかし、その微妙な表情からすると、

なんか、私に火の粉がかかりそうな予感が。

「いや、うちの親が『イイ人やん。』って言うんやけど・・・」

あー、主語はないけど、それって私の母のことでは?

過去には表面化しないものも含めて、

感情的ないざこざがけっこうあったイヌ氏母と私の母だが、

父が亡くなり、母が病気になり、私たちと同居となってからというもの、

イヌ氏両親が以前に比べて母を訪問してくれるようになったのだ。

そうやって付き合っていくと、以前のいやなことは、

新しい良い記憶とすり替えられていくのだろうか。


「俺が今まで話したことを忘れたんか。イイ人なんかじゃない。」

と怒りを顕わにしたというイヌ氏。

・・・まあ、言いたいこともわからんでもないがな。それを私に言うか・・・。

それから、怒りに任せて過去のいやなことが沸々と蘇ってきたらしい。

「TURにしたこと、俺は絶対忘れない。」と。

母は、TURが小学生だった頃、言い返せないこと良いことに、

言いたい放題言っていた。

TURに意地悪なことを随分した。・・・だが母は、今、それを全く覚えていない。

当時、随分とイヌ氏に冷たかった父だが、母の行動には

「あれは、ひどいワ・・・。」とイヌ氏にも私にも漏らしていた。

私らが抗議をしても、ものすごい勝手な言い訳で丸め込もうとするか、

それができなければ、ヒステリックに自分の病気のせいにした。

誰も母をとめることができる人はいなかった。

私にできることといえばTURと母の接点を減らすことぐらい。

それから、今日知ったが、

イヌ氏の抗議に、何をどう伝えたのか父を炊きつけて

「自分の子どもを障害者にしようとするなんて、お前は親失格。」と言わせたらしい。

・・・ま、そのころ父も母もTURの障害を

受け入れることができていなかったのあろうが。

父は、その後、TURと二人の時間が圧倒的な勢いで増え、

まるで、私と同じような精神的道程を辿りながら、

TURのよき理解者・支援者となった。

・・・が、しかし、本当の意味でTURと心を寄せ合おうとしたことのない母は、

結局のところ、今の今でも、TURを理解できずにいる。

・・・それなのにさ、一緒に暮らし始めた途端

偉そうにお説教したりしたって、TURに受け入れられるはずがない。

TURと母の間には信頼関係など一切なく、

多分、今までのことを全て覚えているであろうTURにとって見れば、

ばあちゃんは自分に悪意を持って意地悪をする、避けるべき人なのだ。


問題なのは、誰に対しても、

母は自分のしてきた都合の悪いことを忘れてしまって、

してあげた良いことだけは覚えていて、

それで、自分自身をとても善人だと思っていること。

娘としては、それは確かにある側面からは事実であるけれど、

反対から見ると非常に都合の良い話で

ましてや、赤の他人のイヌ氏から見ると、

全て自分本位のわがままで欲深い

意地悪ばあさんにしか見えないってこと。


「お前は唯一、文句の言える立場の人間じゃないか。」とイヌ氏に言われたが

あのね、私はあの性格を一番良く知っているから、

私が言った先の返事も簡単に想像できるわけ。

それはもう、確信よ。

そしたらさ、もう良いかって思うのよ。言っても無駄だって。

絶対に自分の非は認めないし、自分の都合の良いようにしかしないから。

せいぜい「だって、私はもう変われないから。絶対に。」って言われるのがオチ。

そんな理不尽な思いをするくらいなら、

黙って目をつぶって我慢したほうがましなんだよ。

だって、私はずっとそうやってこの人の娘として生きてきたんだから。


さてさて、私の方は諦めるからいいとして、

イヌ氏の不満をどうやってガス抜きすればいいかな。

聞いてあげるぐらいでは、今回は収まりそうにないかも。

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2010年6月13日 (日)

主人公。

「姉ちゃんがそう言ったんだから。」

その言葉が、そもそも真実なのか疑わしいということに今朝気づいた。

いや、母の話。一つ前の記事の続きだ。

しつこい母の血が、私にも流れているのかな。

日常的に「あんたが○○って言ったことにしてるから。」という手を多用する母。

現実を捻じ曲げて、自分もその中で気づかないように生きる。

たいていは、誰かを無理に従わせる手立てのために。

だいたい、普段、姉のことは私の前でも名前に『ちゃん』付けで話すのに

わざわざ『姉ちゃん』を連発するあたりで、もう、すでに違和感全開。

おそらく、母の中では全てが真実なのだろうが、

本当は、いったいどこまでが事実なのだろう。

いつでも自分が主人公で、

誰かを支えるための脇にはなれない母。

『私は変えない。変えられない。』と豪語するのはその表れ。

しかし、私は知っている。人はいつでも変われるのだ。

これを言ってしまっては、多くの人は分かりようの無いことなので

あまり言わないようにしているが、

TURのような子どもを家族に持つと、

自分の視点を180度変えなければならないことがる。

わりに、受け入れのよいタイプの親だろうと思われる私やイヌ氏であってもだ。

人はその気になれば変われるのだ。

ってか、変わらないと暮らしていけないし。

自分を振り返り、相手が何を望んでいるのか考え、

それに合わせるということはひとつのスキルで、

学習して学ぶことなのだと思う。

そして、明らかに母にはそのスキルが

今まで育っていなかったというだけのことだ。

・・・それとも、もし母にTURのような子が生まれていたら、

母はTURも母の自我で潰してしまっていたのだろうか。

・・・いや、なんか、そんな気もする・・・。

そして、それもTUR本人のせいにして、

自分は可哀想な悲劇の主人公に成りすますのだろう。

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2010年6月12日 (土)

・・・エンドレス・・・・

エンドレスに続く洗濯戦争。

いや、似たような無数と思われる争いに

嫌気が差して、ついに本音を口にしてしまったのは・・・・

・・・そう、あれは確か月曜日の話。

来たね~。来たね~。・・・反撃?

いや、もう、5日もかかるかねぇ。

・・・てか、5日間ずっと反芻しては怒りを増幅させていたというのか・・・。


仕事前の本当に貴重な時間。

朝から『いじめんで。』とか『ノイローゼになってもいいの?』とか。

・・・思い通りにならない時に、何度も聞いたお決まりのフレーズだねぇ。

言ったもん勝ち。

我慢に我慢を重ねた末に、たった一回、思っていることを言っただけですぞ。

それをいじめとは、それでノイローゼになるとは、

じゃ、思ってること全部言ったら、どうなるんでしょ・・・。

 

「そうしてあげたら?」と姉が言ったのだそうだ。

姉ちゃんが言ったんだから、それが私が一番助かることなのだそうだ。

????

・・・・私が望む事をするのが、一番私が助かることなのではないのだろうか?

なぜ、台所の食器を片付けてはいけないのかと言う。

なぜ、洗濯を勝手にしてはいけないのかと。

なぜ、ゴミをまとめてはいけないのか。

料理の最中に調味料や皿がどこにあるのかかわからなくなるからである。

乾燥機に入れてはいけない衣類がちぢんでしまったり、

買ったばかりのシャツのスペアの無いくるみボタンが2個も3個も一度に無くなるからである。

色落ちした服の色が子ども達の制服に付着するから、

Tシャツやデニムが、アイロン無しでは着られないほどしわくちゃで戻ってくるから、

燃えるゴミも燃えないゴミも、ごっちゃになっていて、

リサイクルできるゴミが中身が少し入ったまま、ゴミ袋に入れられているからである。

「じゃ、私はどうすればいいの?」

こっちがして欲しくないことは、手を出さなけりゃいいんだよ。

でも、それはできないときっぱり言うのだ。

じゃ、私はどうすればいいの?だ。

「何をどこに置けば良いのか、最初から教えてくれればいい。」と言う。

キレてしまって、ついつい大きな声を出しながら、

「これはここ!これはここ!」と1つずついう。

仕事は確実に遅刻。だって、朝食も化粧も出来ない状態。

「いい加減にして。私は時間が無いんだけど。」

「じゃ、話をしながらいっしょに冷蔵庫を片付けよう。

居間の掃除を手伝ってもいいよ。」

「そんなことはしなくていい。もう、放っておいて。」

しつこい。ずっと後ろについて、いつの間にか生ゴミをビニールに入れて捨てている。

・・・ああ、それはコンポストに入れるために一まとめにしていたのに・・・。

その間も、ずっと自己の正当性を主張しつつ、

どうにかして、今すぐに冷蔵庫の整理と居間の掃除をしようとする母。

「うるさい。うるさい。」声に出すつもりは無かったが、つい、声にしていたらしい。

こちらの言葉に興奮したのか余計に私を非難し、自分の目論見を押し付ける母。

このしつこさ。もう、言葉も見つからない。

とにかく、母から離れ、さっさと準備をして仕事。もう、家に居るのでさえ苦痛。

一日を終え、家に帰って晩御飯の準備に台所に立つ。

今日の今日、なのに、ご飯茶碗もお味噌汁のお椀も、

調味料も野菜を入れた籠も・・・・すべて場所が違う・・・。

やっぱり、探すところから始めなければ夕食にはありつけないという・・・

・・・私が使いやすいように片付けているのに、

これ以上片付ける必要はないではないか・・・。

だから、何もしなくていいとあれほど何度も・・・

・・・もう、頼むから、私の生活は荒らさないでくれ・・・・。

いったい、いじめられているのはどっち?

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2010年6月 7日 (月)

親子三代、思考はそれぞれ。

最近、第三者の意見を知りたい時はSUEに聞いてみたりする。

・・・幼いころから大人の事情を一方的に聞かされ、

常に同意することのみを求められてきた身としては、

それがSUEにどんな影響、どんな思いを植えつけるのか

本当は子どもにそんなことを話さないほうがいいのではないか・・・

そう思いながらも、

SUEの考える力なら、この程度のことは大丈夫。

偏らず、公平な目で判断できるはず・・・と自分に都合にとっていい考えで相談する。

昨日、仕事が終わったあと、家に帰ると母から洗濯のことについて言われたのだ。

最終的には『子を思う親の気持ち』という言葉を持ち出す母。

それを言われれば、従わざるを得ない。

しかし、私自身、その言葉が言葉どおりには感じられないのだ。

・・・親不孝者? 罰当たり?

「仕事で疲れて帰ってくるあんたが少しでも楽になるように・・・」

だが、むしろ母のペースに巻き込まれ、家の中でくつろげない状態。

・・・店より家に帰ってきてからのほうが疲れるのだが・・・。

ほうっておいてくれるのが、何より私にとってはありがたい。

「なんと言われても、私のペースは変えないし、変えられない。」とはっきりと宣言する母。

・・・・もう、ため息しか出ないんですが・・・。

「あんたも歳をとったらわかる。

焦って次から次へいろんなことをしてしまうもんなんよ。」

いやいや、私は根が怠け者なので、絶対にやらんと思うワ~~。

むしろ、歳とってもちゃんと家事をサボらず、

家をごみ屋敷とかにならないように・・・・というほうが心配。

「もともとの同居の目的を思い出して。」というと、

「私が寂しいから。」と即効で返ってくる答え。

・・・いやいや、病気の薬の副作用で身の回りのことを一人でできなくなったから・・・

・・・じゃなかったっけ?

なのに、うちの家事を片っ端から勝手にしてしまうなんて・・・。

「良いやない。元気になったんだから、喜ぶとこやろ。」

もともとの目的がなくなったんだから、むしろ同居をやめたいぐらい。

しかし、子としてはそんな鬼のような言葉、言えませんよねぇ。

私が情が足りないのか、

母の言葉はただの美辞麗句を並べたようにしか聞こえない。

全てを『子を思う親の気持ち』という

美しい言葉でごまかしているだけのような気がして・・・

SUEに掻い摘んで話す。

私の母に対する感情はなるべく除外して、

なるべく、起こった出来事、言った事実・言われた事実だけを。

まず、昼、うちの分だけの洗濯物をたたんだことについて

二人の間で少し言い合いがあった上で、

さらに夜になって、『子を思う親の気持ち』をとくとくと説明されたことについて

「ばあちゃん、しつけぇ~~。」と一言。

そうなんですよ。そのしつこさが私たちの中ではないことなので、

まず、イヌ氏もSUEもTURも面食らうところだと思う。

「あのね、それは○○家全員の特徴で、

その血は脈々と私にも受け継がれているわけです。」

と言うと、

「じゃ、お母さんはその血がじいちゃんの血で随分薄められてるよね。」

「うん、私は父親似だと思う。

途中で嫌になっちゃうもんな~~。面倒くさくて。

でも、お父さんは私のことをしつこいと思っていると思うよ。」

「お父さんはすぐに冷めちゃうもんね。わたしと一緒で。」

『子を思う親の気持ち』発言については

「それは都合のいい嘘だと思うワ。」とSUE。

「だって、ばあちゃん、いつもそうやろ。」と、ばっさり。

・・・見ていないようで、冷静に見ていますなあ・・・。

「SUEが大人になった時、

お母さんも同じようなことをしてしまうのかなあ。

で、『子を思う親の気持ち』をSUEに押し付けてしまうのかしら・・・。」

「お母さんは無いやろ。勝手に私の事したりせんし。」

願わくば、ずっとそうありたいよ・・・。

SUEと二人きりの貴重な定休日の朝。

いろんな話をする。自分のこともSUEのことも。

「ねぇ、私の反抗期っていつ始まっていつ終わったの?」

「え?反抗期、終わったの?今、真っ只中と思っていたけど?」

「私、あんまり反抗する理由が無いもんなあ。親とはゲームとアニメでつながっているし。」

・・・それだけって、なんだか嫌なつながりだなあ・・・。

「ね、SUEはときどき、文句言ったりキレたりするやん。あれって反抗じゃないの?」

「あ、あれはただ八つ当たりしているだけだから。」

ほほう、八つ当たりの自覚があるんだ。

「SUEはそうやって、自分でちゃんと振り返るから良いんだよ。

お父さんは、『あいつは謝りもせん。』って怒るけど、

素直に謝れないこともあるもんね。そういう時期が反抗期って言うんじゃない?

でも、自分で今日の自分を振り返って、

『あれは、ちょっと自分が悪かった。』って、SUEはちゃんと思える人間だから、

私はそれでいいと思う。

自分を振り返って、冷静にどうだったかって思うのはすごく大切なことなんだよ。

そこのところで人は思考力の差がつくと思うの。

振り返って考えることが重なって、いろんなことを自分で解決する力がつくんだよ。

『ま、いいや。』で終わってしまったら、考えることをやめたのと一緒。

考えることを途中でやめてしまったら、

嫌なこともあきらめてしまう人になると思うんだ。」

ああ、この言葉、むしろ自分に言ってやらなきゃ・・・。

SUEには私と同じ轍を踏ませたくは無い。

だったら、自分はどうするべきか

母の背を見て、SUEの成長を見て、じっくり考えていかなくては。

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2010年6月 6日 (日)

洗濯戦争。

金曜日の話。

朝の仕事が遅くなり、時間はぎりぎり。

学校からのプリントで書き込んで提出しなければならないものが2枚。

しかもその日が締め切りの日。

帰るとTURはのんびりと食事中で、

着替えてもいないし、ショートの準備なども手付かず。

狭い家の中を走って飛んではねて・・・

プリントを書き込んでいると洗濯機の出来上がりブザーが鳴り、

母が「ちょっと、そっちにある洗濯カゴを空けてもってきて。」

かごの中には昨日乾いた洗濯物が、まだたたんだ状態で入れてある。

しまった。夕べ、しまい忘れていたのだ。

「ちょっとまって。今手が離せないから、あとでもって行く。」

ところが数分もしないうちに、ぬれた洗濯物をたっぷりと両手に抱え、

そしてもちろん落ちかけた服をずるずると引きずりながら

「早くカゴを頂戴ッ!」と叫ぶ母。・・・お得意の実力行使だ。

なぜ、ほんの数分が待てない?

「私は手が離せないっていったでしょ。なんで、待ってくれんの?」

つい口調を荒げて私が言うと、

「せっかく洗濯ができたんやから、早く干さんと。」と。

「急がんでも、お母さんには時間があるやろ?」と言い返すと

「私にも段取りがあるんよ。段取りが狂うとあとが大変やん。」と言う答え。

そりゃ、多少の段取りはあるかもしれんが、

仕事も引退し、特に時間に追われる理由は何もないはず。

そんな、1時間も2時間も待ってなんて言っていないのに、

とにかく、1分でも数秒でも待てない母。

今って言ったら、今の今。たった今私の命令を聞きなさいよ。的な差し迫り方なのだ。

きっと、今までずっと、そうやってみんなに持ち上げられてきたのだろう。

・・・大体、洗濯物を干すのだって、頼んだことなど一度もないのだ。

例によって勝負好きの母が、

私に先を越される前に自分が先にやってしまいたいだけのこと。

頭にきたので、

「お母さんにも段取りがあるだろうが、私にも段取りはある。

お母さんの段取りが多少狂っても誰の生活にも何の支障もないけど、

私の段取りが狂ったら、子どもたちが遅刻するんです。」と怒鳴った。

・・・いや、もちろんプリントに書き込む手は止めず、頭は下を向けたままだけど。

しかし、こうやって、自分の立場が危うくなると、

いつも急いでその場を立ち去る母。

こちらの言葉は何も聞こえないふり。

土曜日、母が洗濯物を干していた。

何気に見ると、洗濯物は透明ゴミ袋の中。

私の目線に気づいたのか、それとも一言言っておきたかったのか、

「昨日、あんなことを言われたから、

これから、洗濯物はゴミ袋に入れてもってくることにした。」と。

・・・なんですか?こりゃ、何かの挑戦状ですか?

たまたま、一度かごを持っていけなかっただけではないか。

・・・いやいや、よく考えれば、昔からこんな人だった。

とりあえずその嫌がらせ、気づかぬ振りで無視しとくワー。

今朝、母方の親戚と話しをしていたら、

「あんた、よく人に洗濯やらたたませきるね。下着とかもあるのに。

私はそこに居っても、手出しせんようにしてるけど。」と。

???

話の先を聞くと、どうやら母、私に先を越されないように洗濯物を取り込んだあと、

たまたま遊びに来ているお友達や近所の人に、

度々うちの洗濯物をたたませているようなのだ!!!

・・・いや、あり得んやろう。それ・・・・。

うちも、辛抱な家族ですから、

くたびれた下着やら汚れの落ちない靴下やら

破れているけど目立たないからそのまま使っているお気に入りのシャツとかもあるわけですよ・・・。

いくら母の友でも、私にはほとんど面識がないような方々、

そんなよそ様に見られるぐらいなら、

多少無理してでも自分で洗濯一から十までしますワー。

ってか、頼むから勝手に手出しせんでくれ~~。

・・・ふぇぇぇ・・・いつまで続く・・・、こんな不毛な戦い・・・。

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2010年5月31日 (月)

のんびり休日。

今日は週に一度の定休日。

で、母が郵便局と買い物へ連れて行けというので連れて行った。

「え~~ッ、毎週お義母さんの用事ばかりじゃ、

全然、一緒にお出かけが出来んじゃないか。」とイヌ氏が文句を言うが、

TURが運動会の振替休日で休みだから、、

どっちみち、2人でお出かけは無理なんですが・・・。

出かける前に洗濯。

洗濯機が止まっても、ちょっと放置して台所にいると、

台所を横切って洗濯物を取り出そうとする母。

・・・休みの日は私が干すと何度も言っているのに・・・。

「洗濯物は私が干すから。」と声をかけると、

「いや、大変やろ?私は暇だから私が干す。」と母。

イヤ、こちらには母に干させたくない理由があるのだ。

洗濯の干し方が、イチイチ私と違う母。

女子の下着はすべて見えないように内側に干して欲しいとお願いしても、

「誰もみらんよ~~。」とお構いなし。

・・・そういう問題ではないんです。

それが平気な女子にはなりたくないし、SUEをそういう風にも育てたくない。

そして、何より、簡単にTURの目に付くところに女性下着をつるしておきたくない。

今のTURには興味は無いかもしれないが、いつ興味を持ち出すかなんてわからない。

興味をもっちゃってからじゃ、遅いんだ。

他にも、私と違うとこ。

母が洗濯ものを干すと、Tシャツでさえ妙なしわが寄る。

干して服を伸ばすってことをしないのか、

SUEの制服のブラウスはおろか、TURの制服のポロシャツも

細かいしわがより、よれっとした仕上がりで帰ってくる。

だから、自分で干した方が、アイロンをかける時間をロスしなくていいのだ。

・・・なのに、なぜか絶対に私に干させないようにしているかのように

本当に目を盗むように、勝手に干してしまう母。

先に干した方が勝ちかのように・・・。

・・・だから、別に勝負じゃないってのに・・・・。なんという負けず嫌い・・・。

とにかく、必死で止めたのに、私が手を離せない状態であるのを確認して、

またもや勝手に洗濯物を持っていってしまった母。

追いかけて、途中で無理矢理やめさせて干す。

干し方1つでどれだけ服が皺無くしゃきっと仕上がるか、トクと見るが良い!

さて、9時に母と出かけて、帰ってきたのは11時半。

・・・やっぱり午前中は潰れたね。

例によって、行く先々で人に会い、そのたびに長話・・・・だから当然である。

で、早めに昼食を取って、・・・1人で出かけたイヌ氏。

・・・なんや、やっぱり一緒にお出かけはせんのやないかい。

母より先に早めに洗濯をいれようと思っていたのに、

先週同じことをやったせいか、今度はありえないほど早くに先に取り込んでいた母。

・・・やられた。・・・・だから、勝負じゃないってのに・・・・。

そういえば、郵便局でも、隣に止まった車からおじさんが降りたら、

「あのおっさんに先越されたくない。」と急いで車を降りた母。

・・・足悪いから、絶対、勝てるわけ無いのに。・・・なんと言う負けず嫌い・・・。

母は人生すべて、勝負なのだろうか。だから、誰も母と勝負はしてないって・・・。

TURとおやつを買いに出かけたついでにぐるっとドライブして、

SUEが帰ってから、一緒にお買い物。

本屋でターシャ・テューダーの本を立ち読みし・・・

・・・ああ、良いなあ・・・ターシャのような生活。

憧れのスローライフ。花とペットにかこまれた質素な生活。

だが、ターシャのような生き方は

怠け者でぐーたらでいい加減な私には、絶対に無理。

・・・そして母と無意味な勝負を繰り返しながら生きる日々では絶対に無理。

・・・無理だから、さらに憧れてしまうのか・・・・。

ショッピングとウィンドウショッピングをたくさんして、

家に帰って食事の準備。

・・・なんか、自分のこと、あんまり出来ない一日だったなー。いつものことだけど。

だけど、ちょっと本腰入れて、キッチンを片付けてみた。

それだけで、けっこう満足。

気がつけば居間の前にたたまれた洗濯物。

・・・あんなにきれいに干したTシャツが、

あまりに雑なたたみ方で変な折じわついてます・・・・(泣)

・・・私の努力っていったい・・・・

さて、またアイロンをかける時間の無駄を諦めるより仕方ない。

体調もようやく、元通り・・・・と言うわけでもないが、

明日も、頑張って働こう。

イライラくよくよしても仕方ないもんねぇ~~。

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2010年5月 5日 (水)

ついていない時。

MAXで力出し切ってるのに、まだ求められる。

嫌味や皮肉。

やってもやっても追いつかない。

事務は既に2か月分は溜まっている。

いつできるかも分からない。

昼寝などする暇も無い。

とりあえず、全てを後回しで給与計算。

閉店後、片付けた後に、積み残した仕込み。

眼はしばしば。それでもなるべく頭をからにして、

単純作業に没頭。


ようやく家に帰ると、

部屋を勝手に片付けられた跡。

「TUR君が手伝ってくれたから。」

・・・嘘付け。TURが手伝っていたら、絶対にこうはならないはず。

つじつま合わせのその場かぎりのホラはいつものこと。


触られたくないものも全て見事に移動。

あるはずのものがあるべきところに無い。

食事の準備をしようと台所へ。

お皿もお椀も、あるはずの数が足りない。

ソースが見つからずに探し回ると、ありえないところから発見。

しかし、勝手なことをしておきながら、

「助かったでしょ?」という感謝の強要。

「忙しいだろうから、してあげた。」というのは、

確か自分もうん十年前に義母にやられて、

散々私に愚痴ってきたはず。

それをすっかり忘れてしまったのか。

それとも、自分のしていることとの共通点に気付いていないのか。

ぐるぐる回るのなら、私もSUEにそうしてしまうのだろうか。

ならば、私がここで嘆くのは愚かということなのだろうか。

仕事で身動き取れないというのに、

自分の予定を告げて車に乗せていけと・・・・

そして、こちらの返事を聞かずに「じゃ、お願いしたからね。」と言い逃げ。

足、悪いはずなのに、逃げ足だけは速く・・・・


・・・・イライライライラ・・・・。


きっと、今が一番ついていない時。

じっとじっと静かに息を潜めて耐えるべき時。


・・・デモ、イツニナッタラ ヌケダセル・・・・?

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